「モリ袖&ヌキ襟」が気になる [平和ネタ]
おはようございます。
休みの日に珍しく早起きしているitomakiです。
掃除も済んでいるので、余裕の朝でやんす。
テレビで、GUのCMを見ました。。
モリ袖とヌキ襟・・・。気になります
盛り袖と抜き襟と思うけど、
モリとヌキが、カタカナなのも、ちょっと気になります。
それは、itomakiも多分カタカナで書いていしまいそうだからです。
漢字で書かない意味が分かるような気がするし。
それはまぁ、いいのですがGUのリンクを貼っておきます
GUへのリンク
昨年のGWごろ、itomakiは、こんなブログ書いてました。
洋服でも衣紋が抜ける
きっと、この「ヌキ襟」なるものは、
とっても楽ちんなのではないか?と思ったりして、
皆の評価が気になるところであります。
それと、2月のイベントのこと書き忘れていたので、
書いておきます。今頃ですが・・・。
お出掛けしたのは、県立歴史館の
「イカラカラ・アイヌ刺繍の世界」です。
しかも、「アイヌ文化と常陸の国・水戸藩」という
講演会にも行きました。
かいつまんで講習会の事を書くと、
一つは、アイヌは北海道の原住民みたいに言われてるけど、
昔は、北関東くらいまでは住んでいた、という仮説があって
茨城(常陸の国)でも、アイヌ語と思われる土地名が、
今も残って、普通に使われてるのだとか。
もう一つは、水戸黄門様が、船を作って、
北海道の調査を推奨したので、
江戸時代ごろの北海道の様子が、
水戸藩に残っているのが、たいへん貴重な資料なのだとか。
石狩川広サ 那珂河よりも広く御座候、深も同由に申候
石狩川ハバ二丁バカリ、流ハ取手川ヨリノロシ
石狩川を那珂川より広く深く、
利根川(?)よりゆっくり流れてる、と、
基準が茨城で、少し笑えます。
前も書いたけど、水戸藩が船を作れたのは、
他の藩が船を作ると、謀反になりがちだけど、
御三家だから、作れたと言っていたし、黄門様はスゴイな。
展示の方は、たくさん見ることができて、
縫製と裁ちは日本の着物に近いのに、
柄はロシアに近いから、面白いなぁと思いました。
↑ ロシア側の島の服
ロシアの服は、今着ている洋服と同じで、
前身頃と後ろ身頃がバラバラに切っていて、
ラグラン袖みたいにつながっているけど、
アイヌの服は、前身頃と後ろ身頃は肩に縫い目はなくて、
背中と脇が縫い付けてあり、袖が別付けになってました。
それと、着るものだけでなく、
首飾りや、耳飾りも、とっても綺麗でした。
和裁学校の友達は、北海道で展示を見たけど、
その時よりも、沢山見ることができた、と言っていたし、
職場で見に行った同僚も、
柄とか模様にかなり興味が沸いたみたいでした。
忘れないうちに書けて良かった。
早起きできたから・・・。
またね。
休みの日に珍しく早起きしているitomakiです。
掃除も済んでいるので、余裕の朝でやんす。
テレビで、GUのCMを見ました。。
モリ袖とヌキ襟・・・。気になります
盛り袖と抜き襟と思うけど、
モリとヌキが、カタカナなのも、ちょっと気になります。
それは、itomakiも多分カタカナで書いていしまいそうだからです。
漢字で書かない意味が分かるような気がするし。
それはまぁ、いいのですがGUのリンクを貼っておきます
GUへのリンク
昨年のGWごろ、itomakiは、こんなブログ書いてました。
洋服でも衣紋が抜ける
きっと、この「ヌキ襟」なるものは、
とっても楽ちんなのではないか?と思ったりして、
皆の評価が気になるところであります。
それと、2月のイベントのこと書き忘れていたので、
書いておきます。今頃ですが・・・。
お出掛けしたのは、県立歴史館の
「イカラカラ・アイヌ刺繍の世界」です。
しかも、「アイヌ文化と常陸の国・水戸藩」という
講演会にも行きました。
かいつまんで講習会の事を書くと、
一つは、アイヌは北海道の原住民みたいに言われてるけど、
昔は、北関東くらいまでは住んでいた、という仮説があって
茨城(常陸の国)でも、アイヌ語と思われる土地名が、
今も残って、普通に使われてるのだとか。
もう一つは、水戸黄門様が、船を作って、
北海道の調査を推奨したので、
江戸時代ごろの北海道の様子が、
水戸藩に残っているのが、たいへん貴重な資料なのだとか。
石狩川広サ 那珂河よりも広く御座候、深も同由に申候
石狩川ハバ二丁バカリ、流ハ取手川ヨリノロシ
石狩川を那珂川より広く深く、
利根川(?)よりゆっくり流れてる、と、
基準が茨城で、少し笑えます。
前も書いたけど、水戸藩が船を作れたのは、
他の藩が船を作ると、謀反になりがちだけど、
御三家だから、作れたと言っていたし、黄門様はスゴイな。
展示の方は、たくさん見ることができて、
縫製と裁ちは日本の着物に近いのに、
柄はロシアに近いから、面白いなぁと思いました。
↑ ロシア側の島の服
ロシアの服は、今着ている洋服と同じで、
前身頃と後ろ身頃がバラバラに切っていて、
ラグラン袖みたいにつながっているけど、
アイヌの服は、前身頃と後ろ身頃は肩に縫い目はなくて、
背中と脇が縫い付けてあり、袖が別付けになってました。
それと、着るものだけでなく、
首飾りや、耳飾りも、とっても綺麗でした。
和裁学校の友達は、北海道で展示を見たけど、
その時よりも、沢山見ることができた、と言っていたし、
職場で見に行った同僚も、
柄とか模様にかなり興味が沸いたみたいでした。
忘れないうちに書けて良かった。
早起きできたから・・・。
またね。
2017-04-02 07:25
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北関東に居たけど追いやられたとかなのかな?
by pn (2017-04-02 10:02)
pnさん、まぁ、追いやられたかぁ、または、混ざった?ってことでしょうか?
by itomaki (2017-04-02 17:33)
イカラカラって何?と思ったら、
アイヌ刺繍のことなのですね。
アイヌ刺繍って、独特の図形で、面白いな~
と、以前思ったことがありました^^
あの図形にも何か意味があるのでしょうか?
茨城県内のアイヌ語由来の地名、色々あるんですね~←ググッテミチャイマシタ
絶対に。。読めそうにないです(爆)
by サザエ (2017-04-02 19:35)
茨城基準の報告書すごく面白いです。
昔も自分の目で見たもので比べるのが一番分かりやすかったんだろうなぁ。
今で言う東京ドーム何個分なんてのもないだろうし。
by 鉛 (2017-04-02 22:06)
サザエさん、図形に意味はあったと思います。多分、繁栄とか幸せとかそんな感じで、よくは覚えていません。すみません。
by itomaki (2017-04-03 22:49)
鉛さん、それがね、秋田もアイヌの人が多く住んでいたらしいですよ。秋田県大館市の比立内もpit-ta-ush-naiで、石ころをいつもとる沢という意味らしいです。このpit-ta-ush-naiが常陸という説もあるみたいですが、そんなことも言っていました。
by itomaki (2017-04-03 23:02)
茨城とアイヌの縁 興味深いお話でした。小学校低学年(昭和30年代)の時、学校の講堂でアイヌの人たち見ました。いろいろ披露してくれたのだろうけど、詳しい記憶なしです。茨城との縁か興行かな?
ナタリ-アイのワ-クを受けましたが、今回は周知不足か少ない人数でいいような、悪いような、私が未熟者だから必死でした。お母さんの話をすご~くして、厳しくてとっても怖かったと言ってました。ブレスレットの音で、何か悪いことしてなかったかと、自分の行動振り返った。なあ~んて言っていました。フラ先輩の itimaki 先生へ。
by グリ-ンロ-ズ (2017-04-07 16:34)
グリーンローズさん、確かにオラナ先生は大きいコンペではいつも入賞だったし、偉大なクムフラですよね~。あーぁ、フラは楽しかった思い出しかないです。
by itomaki (2017-04-07 19:20)