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古くて新しいキモノ [着物のこと]

こんばんわー。

今日から、令和になりましたねー。

無関心でいたわけではないですし、
何が変わるってわけでもなさそうですが、

平成の時代は、学生から社会人になったり、
好きなことをして過ごした年月だったから、

平和に過ごせたことに、
感謝しなければならないのかもしれませんです。

令和も、変わらずでいたいけれど、
平成時代のように、若くはいられないから、

素敵に歳を重ねていこうと考える以外、
明るい未来、広がる希望、夢と笑いなどの

イメージが全く湧きません(笑)
・・が、頑張りましょう[exclamation]これからも。

と、読んだ下さる方に言ってみたりします、はい。


さて、テレビでは、
「剣じ等継承の儀」が中継されて、

平成天皇が最後の言葉を述べたり、
総理大臣が国民代表としてお言葉を述べたり、

三種の新器の継承を見ることができました。
(もちろん、中身は見れません)

スピーチも短くて的確で、いいですよねー。
やっぱり、国民を思っていることとか、

世界が平和であるようにとか、
分かりやすくて、かみしめて聞くことができました。

itomakiの出席するようなセレモニーは、
祝辞ばかりが多くて、長くて、

世の中って、偉い人がたくさんいるんだなーって、
うんざりするようなモノばかり。

はぁぁぁ・・。


さて、この時、平成天皇も令和天皇もモーニングを着ていて、

女性は格式が高そうなロングドレスと、
肘よりも長い手袋をしていました。

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また、タスキとか、胸章とかつけてました。
もちろん、わかっていたけれど、洋服でした。

平成天皇の退位当日の
「賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」では、

黄櫨染(こうろぜんそめ)の袍を着ていて、
これは、天皇が平安時代から大切な儀式の時だけ着用する

束帯装束で、お内裏様みたいな格好をしていましたよね?

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何の違いで洋服だったり、袍だったりするんだろう?

退位の礼の儀でも、招待者も全員平安時代みたいな
格好でくれば、ちょっと面白かったのに、なんて、

現実離れしたことを思って、ニヤニヤしてしまいました。


1872年(明治5年)旧暦11月12日に太政官布告が出され、
それまでの公家風・武家風の和服礼装が廃止されたので、

松の間で行われた「剣じ等継承の儀」はみな洋服だったのかな?

太政官布告とは、国政の最高機関が公布した公文書のことで、

もちろん、ネット配信やテレビ中継はないので、
文字で書かれたその文書は、以下のように書かれており、
(ネットで拝借)
_____

○第三百三十九號(十一月十二日)(布)
今般勅奏判官員及非役有位大禮服並上下一般通常ノ禮服別册服章圖式ノ通被相定従前ノ衣冠ヲ以テ祭服ト為シ直垂狩衣上下等ハ總テ廢止 仰出候事
但新製ノ禮服所持無ノ内ハ禮服着用ノ節當分是迄ノ通直垂上下相用不苦候事
一 武官禮服ハ従前ノ通タルヘキ事
_____

要約すると、

第三百三十九號 11月12日

「勅奏判官員」や「非役有位」の者の礼服は
「大礼服」や「通常の礼服」を身につけること、

直垂(ひたたれ)や狩衣(かりぎぬ)といった
和装の上下はすべて廃止すること、

ただし、新しい礼服をもっていない人は
当分このままでよいこと、

武官の礼服については従前のとおりであること、で、
挿絵も描いてあったみたいです。

itomakiは、江戸時代(武士の時代)からの
延長だから、裃とかを廃止したのかな?って思っていたけど、

公家の家では、まだ直垂(ひたたれ)や狩衣(かりぎぬ)を
着ていたことにビックリしました。

平安時代に着ていたモノと思ってました[がく~(落胆した顔)]

itomakiの知っている限りの男子の第一礼装は
黒紋付と仙台平の袴だけれど、

黒紋付よりも、モーニングの方が格式は高いのかな?
洋服は見慣れてしまって、

ちょっと格式が分からなっていて、
袍とかみたいに、見慣れない格好で儀式に臨んだ方が

より一層、特別感が湧くような気がしてなりません。


それこそが、古くて新しいキモノ(着るモノ)って、
思っちゃいました[ふらふら]

平成天皇がお生まれになった時、
渋谷では、お祝いの提灯行列があったと、

ばーちゃんから聞いたので、
退位の時も、カウントダウンなんてしていないで、

提灯行列をしてあげればよかったのに[ひらめき]って、
思いました。

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写真はイメージです(笑)

またね。
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